よかったものが崩れる

投稿日:2023-12-06

更新日:2023-12-07

生きていると色々なことがある。10年前は許容されてたことが今では受け入れられなくなってきたり。多数派とか王道とされるものが変化したり。

親戚のご夫婦が離婚されるようだ。そのご夫婦はお子さん2人の4人家族。私からしたら絵に描いたような理想の家族であり、夫婦だった。親戚で集まれば、その夫婦が仲睦まじく、子どもの頃なんて羨ましかった。

わからんものだ。こういうことはこれまでも何度か身に覚えがある。それは身近な友人とかの範囲でも起こったし、社会全体でも起こった。これまで良しとされているものが変わる。徐々に流れはあっても、変わるときは一気に変わる。崩れる。

祖母は生前、よく身内びいきのことを話してくれた。「あたし、仕事の付き合いはあんまり好きやないのよ。けど血縁はもう別なんよ」そういって笑って話していた。いつも自分の夫、息子、娘、孫など親族のことを手厚く大事にして、とにかくかわいがってくれた。子どもの頃、祖母がいつも行くところで髪をカットしてもらったことがある。オサレなヘアサロンで私は緊張していたけど、美容師さんの前でも「この子かわいいやろ」と孫自慢するので大変恥ずかしかったくらいだ。

祖母はよく、身内から離婚した人がいないこと、自分の父親から婚姻関係という形態の重要さを説かれたことを話してくれた。私からしたら、やや時代遅れな感覚だったが、古き良き時代の価値観として聞いていた。

その祖母が亡くなって数年。祖母の子どもにあたる夫婦が離婚することになるとは。私はなんとも言えない気持ちになった。そう、この世に絶対はない。変わらないものもない。今年はコロナが落ち着いて、なんだか何もなかったような社会になりつつあるけど、それでも2023年は色々とびっくりすることが多かったな。

こういう時代の大きな変化を見ていると「人生わからんな」「生きてみると色々見れるな」と感慨深いもの。

理想化していたものが崩れるというのは、仕事とか社会生活でもそう。尊敬していた人、信頼していた人。そういう人との関係が変化していく。前はその変化を受け入れられない自分がいた気がする。でも、最近はもう諦めた。関係は常に変わっていく。変わらないものなんてないのだ。変化に抗うからしんどいのだ。流れに身を任せちまえばいいのさ。スナフキンぽく。

先の話で言えば、祖母のこともそう。自分にとって大切だった人への考え方が、少しずつ変わっていく。祖母を絶対的な存在と思っていたけど、年月とともにその価値観が相対化されていく。これは自然なことなんだと思う。少しさみしいけどしょうがない。だって絶対的なものなんてやっぱりないのだから。

理想が崩れるのと自分が変化するのはセットというか、同時多発的に起こるものなんだろうなと思う。

そのとき少し寂しい気持ちになる。あれだけ大切に思っていた人、理想としていた人、尊敬した人。あるとき、その人への感覚が少し冷めつつあることに気が付く。自分が変化して進みたい気持ちと、理想の中に留まっていたい気持ちの両方が湧き起こる。

良かったと思っていたものが、錆びついたものに感じてしまうとき。理想とし傾倒したものがすたれていく。

そもそも、私たちは物事の見えるところしか見てないよなとか思ったりする

かつてお世話になった女性がいて、その人は私から見ていたら仕事もして子育てもして、かっこいいワーキングママで、憧れるような気持ちがあった。その人と話していたとき「私ね…こうやって毎日子どものお弁当作って、仕事行って、なんとかやってるのかもしれないけど、本当は全てがどうでもいいの」って話していたことがあった。えええええええ!!!!!?と大変びっくりした。

当時はよくわからず、んんんん????!となって、飲み込めなかった。でもその人の「どうでもいいの」という言葉に、何よりも真実というか、その人の本音があるような気がしていた。人生は誠に生きづらいものだ。

今ならなんとなくわかる。日常生活も、社会生活も、それなりにできる。でも、本当は全てがどうでもいい。そういう根本から諦めているような気持ち。諦めているというか、そもそも諦める以前の話。何も望んでもいない。そんな感じ。

大人になって、この知人の話をよく思い出す。今なら少しだけ、あの言葉が出てきた理由がわかるような気がする。

良かったものが崩れるっていうのは、物事の本質が表面化しただけなのかもしれない。


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