殺したいほどの憎しみ

投稿日:2020-04-27

更新日:2024-02-23

先日、仕事中に同僚と職場の人間関係に関する話になった。同僚Aにとって非常に苦手な人が登場し、尋常じゃないほどの拒否感が湧き水のように湧いてくるようだ。それは恐らくは単純にその人がどうこうという前に、自分の中に何かえぐられるものがあるというものらしかった。自分の中の何か、傷がまたうずくような、何か反応させられるようなものがあるのだ。

だいたい、自分の生い立ちとか、家族とか友人関係とか、そういうこれまでの悲しい経験が熟成されて自分のなかの教訓となったり認知となったり、アレルギーとなったりする。それを乗り越えたように見えて、あとあと、別の切り口からその傷口をえぐられるような状況が人生にはまた訪れる。

そんな話をしていて、私自身の非常に強い拒否反応というかアレルギー反応が生じる人間関係についてもつい、勢い余って口走ってしまった。それは母親への怒り、憎しみ、蔑み、役に立たない親のもと長年子どもという理由で発するSOSをないがしろにされたこと、そういった自身の悲しい体験が憎しみとなり、殺意となり何度も殺そうと、繰り返し思い描いたこと。

話が通じない人は一定数いる。相性が合わない人も。同僚だとそれはあまり気にならない。ただ、ある特定の特徴を持った上司という立場の人に自分の中のスイッチが発動する。その能力がないのに、なぜその立場にいるのか。

いつか母親へもいだいたと同じように。親になる能力もないのに、なぜ親をしているのか。なぜ実態が伴わないのに、肩書だけで社会的にそう認められるのか。そういう状況に耐えられない。強い拒否反応が自分の中に生じるのを感じる。

今の職場に来て、上司がそういう人と気づくまでそう時間はかからなかった。でも気づかないようにしていた。それに気づいてしまったら、自分が苦しくなってしまう。できるだけ、見ないようにした。でも、どこまでいっても。それは母親のことで重々承知。見てみぬふりをするよりも、これは仕事。合理的に考えるように努めてきた。

しかし、先日同僚とそんな人間関係の話をしていて、つい感情的になり、母親への殺意に近い嫌悪感を喚起されることを思い出し、何かを口走ってしまった。もうびっくりしたよね。だいぶストレスたまってたんだよあたい。いやぁ、ほんと、みなさんも異常に特定に人に何か自分の中の感情が刺激されるなら、いったん自分のトラウマを振り返ることをオススメする。


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