家庭の「文化」

投稿日:2020-02-05

更新日:2023-10-30

今日は節分でした。鬼が来て豆をまく。そんな繰り返されるイベントは子ども時代、多くの人が経験されたことでしょう。季節によって様々行われる行事ね。これが文化的だなと思う。

我が実家は文化的な生活ってなかった。ついでに季節感とかもなかった。冬にタンクトップ着ている子ども。それは幼きころの私です。今の時代、そんな子いたら虐待を疑われますが、当時は、「あら元気ね!」なんて褒められたものでした。褒められるもんだから、当時の私は子どもごころに、それが推奨されることだと信じ、薄着することで自分の存在をアッピールするようなところがありました。これがいわゆる誤学習ですね。

文化的な生活は、一定水準の家庭環境の上に成り立ちます。季節とともに生活を送る、四季おりおりの景色を楽しむ、そういった風情と心の余裕がなくては成り立ちません。

子どものころ、<いっかだんらん>とか、<だんらん>の意味がわからなかった。社会の教科書にそんなキーワードが出てきたと思うけど、それの意味について説明はなかったな。つまり当時の家族に暗黙のうちに共有された、言わずもがなの常識だったんじゃないの。

だから、というわけじゃないけど、私には家族についての理想とか、家族をつくりたいとか、はたまた結婚したいとか、そういう思いが少ないんだと思う。結婚は地獄で、人は結婚した時点から生涯不幸であるとか、そういう確固たる言説が自分の中にあった。年々、それはマイルドになっているはずなんだけど、そのへんを整理しないままきたもんだから、長く付き合った人との<いつ結婚するんだ問題>に自分をあてはめて、こじらせたりしていた。

自分の私生活をどうしていきたいのか、そのことから目をそむけて来たようなところもあるかもしれない。ごちゃごちゃ考えてても仕方ないので、この場を借りて整理していこうと思う。

最近、巷では新型コロナウイルスが流行していますね。10年ほど前、新型インフルエンザが流行しました。そのときも結構ニュースになっていて、多くの人がマスクをしていたのを覚えています。当時は、今ほどマスクをつける人もそんなに多くなくて、このときあたりからマスクがより一般的になっていったような気がする。そして当時、私もちゃっかり流行にのっからせていただき、しっかり新型インフルにかかったのでした。当時は、その感染力が話題で、ほんと大学からも新型インフルの対応について案内が出たりとかありましたよ。でもこのときは感染力は強かったんだけど、重症化はそんなにしなくて、私も病院行って検査で陽性出て、すぐお薬もらって飲んで1-2日くらいで良くなった記憶がありますね。

当時予防接種していたかどうか記憶はないけど、私が中高生のあたりから、それまで学校で実施されてた予防接種もなくなって、受けるなら近所の病院でという方式になったような記憶がある。そして、我が家はそういうことに無頓着な家だったので、その後、親に連れられて予防接種打つみたいなことはなかったと思う。中には、予防接種を打つこと自体に抵抗があるような親もいて、おそらくそういう家庭の子どもも結果的には私と同じように予防接種は打たれなかったのだと思う。結果的には同じだけど、その背景にある家庭の文化は結構違う。我が家は単純に、お金がないとか、必要ないとか、深い考えはないけどなんとなく金と手間をかける気がしないというやつ。でも他方の家庭は、むしろ健康志向で、予防接種の利益よりも害を懸念するような文化がその背景にある。子どもに予防接種を受けさせないことは、もしそれを受けていたら防げる感染症に対して、無防備で脆弱な状態にさらしているわけだから、場合によっては医療ネグレクトにもなりかねないよね。

そこは現在でも、子宮頸がんワクチンで論争があったように、様々な考えや家庭の文化などもあり、結構複雑かもしれない。予防接種を子どもに受けさせなかったことが、感染症の拡大を招き、親が有罪になるっていう海外ドラマを観たこともある(Law and Order SVU 16×19)。

<子どもの健康に無頓着 VS 子どもの健康に超過敏>という極端な文化グループによって、予防接種の未受診は起こるのかもしれない。結果的に未受診ということは同じなんだけど、その背景は真逆なんだよな。我が家の文化背景は言わずもがな、無頓着系でした。風邪くらいでは放置され、熱が下がらず悪化してやっと病院連れて行かれたときには、肺炎なりかけですと言われたことが何度かあるもの。そういう人って健康管理で一定期間、苦労するかもしれない。体調の不良と良好の違いがわからない時期があったと思う。


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