なんだか昨日は調子が悪かった。何がってわけでもないし、些細なこと。ちょっとしたリズムの乱れとか、その程度。予測していなかった予定の変更とか。いつもあまりやる気がないくせに、気の迷いで手を挙げてしまったことが残業になったとか。そのせいで楽しみにしていた予定に変更が生じたりとか。でも大きな変更にはならなくて、結果的に大丈夫だったとか。それなりに楽しい時間を過ごしたから調子乗って、さらに欲張って寄り道した結果、自分で予定外のことを招いたとか。でもその予定外のことも楽しかったりとか。適当に散歩をしていたら、夕日がとっても綺麗で得したなと思ったりとか。そういうことで元気になってまた調子に乗って外食したら、思ったような味じゃなかったとか。がっかりして家に帰って疲れて布団に入るけど、なかなか寝付けないとか。眠りも浅くて目覚めは悪くて、いつもの電車に間に合わず、だらだら出勤してやる気のかけらもないから、カフェモカ買って気分を上げるとか。
なんだか、自分が普通になったなと感慨深い。仕事終わりで寄り道して夜21時くらいの帰宅になるとどっと疲れたりしている。普通の人間だな。以前はブラック職場というのもあって、終電で帰るとかよくあったし、だいたい22時とか23時とかに帰ったりは結構あった。感覚が麻痺していたというのもあるし、早く帰れても特に何かしたいこととかもなかった。ブラック職場になる前も、ずっとセルフブラックだった。それが自分にとってよかったというか、そのくらいしなくちゃいけない気がしていた。昼間世の中の人と同じように働いて、夕方から学校とか仕事とか勉強という生活を10年くらいしたかな。生活リズムが二部制だった。
たまに人から、すごいねとか言われたけど、全然そんなこと思ったことなかった。当然だと思っていた。自分のような人間は、どれだけ時間をかけても足りないという感覚。それがある意味モチベーションみたいなところがあった。頑張っててすごいと言ってくれる友人に、正直に話したことがある。そんなふうに前向きなものじゃなくて、本当は何かしてないと不安で仕方ないからやってる。私はバスケットはめちゃくちゃヘタクソですけど、例えるならバスケを止めてグレたミッチーがバスケを再会したとき、いつまでも過去を取り戻せないともがいている感じ。ミッチーみたいにかっこよくないけど、そういう感じ。
やってもやってもゴールが見えない。そんな感覚が途中からあった。でも、止まれない。誰か止めてくれないかなって思ったりもした。でもやってないと不安。どうしたらいいかわからない。そういう止まるに止まれないし走り続けるしかないけど、この先どこいくんだろう、どこまで行ったら止まっていいんだろう?みたいな、なぞのメンタル暴走族みたいになってた。
そうして、自分個人の中では不安からくる内的動機付けに動かされて色々行動してたけど、何年に1回かくらいの頻度でビッグバンというか、後頭部をガッツリ殴られるような出来事が起きる。それは、出来事だったり、気づきだったり。だいたい別れとか、失敗とか、何かを失うようなこと。そのときに、自分が真っ白だか真っ青だか、はたまた真っ二つなんだかよくわからないけど、足元から崩壊する。ガラガラガラ〜。崩壊。しばらく何もできなくて、その間はだいたい希死念慮とともに息をしている。
でもすごい不思議なのが、一定期間そうやってぶっ壊れて廃人になって、灰になって、かろうじて生き残ると、なんだか再生する。再生する感がある。振り返ると、再生が起こったときはいつも直前に崩壊があった気がする。だから、崩壊と再生ってセットなのかな。何度か崩壊を繰り返しても、かえって生きやすいようになっている気がする。崩壊なしに再生もないのか。なんか、そんなことを考えていた。
一度大きなものを失って、自分が信じていたものが壊れて、無になって、そのあと息も絶え絶えでなんとか生きて、日々を送る。そうして生きてると、なんだか失っていた自分の中の感覚とかが戻ってくる。例えば味覚。何を食べても美味しいとも不味いとも思わなかった。けど、それが自分にとって美味しいとか、そういった感覚が出てきた。これは、美味しいという感覚と同時に不味いという感覚も獲得することになる。こういうことが普通なんだろうな。なので、たまたま不味いものに遭遇すると結構ショックだったり。でも美味しいものを食べる幸せを噛み締めたり。人との食事が楽しくなったり、共感できたり。美味しいと不味い、楽しいとつまらない、幸せと不幸とか。そういった表裏の感覚の根っこが回復してきたみたい。
人生って面白いな。
コメントを残す