永遠に失われるもの/映画『光のほうへ』

投稿日:2020-03-15

更新日:2024-01-07

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映画.com『光のほうへ』https://eiga.com/movie/56040/

映画『光のほうへ』を観た。ネグレクトを受けた兄弟が大人になり、過去と現在が交錯する物語。

虐待を受けて大人になり、その後遺症(トラウマ)に苦しむ兄弟。虐待を受けた中で獲得した彼らの生存戦略は、正常な世界の健全な人間関係においては自分を苦しめるものとなる。それは人を信じないことや人を頼らないこと。ただ人知れず苦しみを抱え飲み込むこと。その生き方が何度も繰り返される。運が良ければ良い出会いによって修正される。でも運が悪ければ、というかたいていの場合、その生き方が修正されることは難しいのだと思う。この映画はまさに虐待を受けことにより、永遠に決定的に失われるものを示している。

最近は虐待のトラウマへの効果的な治療法(TF-CBTなど)が示されてきている。また虐待を受けた方が発信をされ、自身の経験をもとに回復の道標を示してくれる方もいる。虐待の被害を受けた方は、いわゆる”虐待サバイバー”と言われる。本当に名前の通り”サバイバー”、虐待を生き延びた人だ。そして、サバイブする前に生き延びれず、回復できない人もいるのだ。いや、そういう人の方が多いのかもしれない。生涯、虐待の後遺症に悩まされ、苦悩とともに生きて亡くなっていく人。自ら命を断つ人。子ども時代に受けた虐待から回復することは、不可能ではないけど決して簡単でもないから。

2018年3月に目黒区で、2019年1月に野田市で起きた児童虐待死事件について、裁判の内容が公表されていた。永遠に失われるもの。それは命であり、健全な自己だと思う。虐待のもと、かろうじて生き延びても、それは自分を押し殺すことで生きている。自分が息をしないことでサバイブする。そのことが後々自分を苦しめる。自分を大切にしてくれる人を苦しめる。愛する人を苦しめる。

モラ男は言った「俺をなおしてほしい」。彼女はそれに応えようと頑張った。色々勉強した。本を読んで、その中で適切な内容と思われる本を提案した。気が済むまで話を聞いた。モラ男には病院に行った欲しかったけど、彼は抵抗を示した。彼女は強くはすすめなかった。本当は専門性の高い適切な治療につながってほしかった。ただの恋人が支えられる範囲を超えていたから。

モラ男は「なおりたい」と言った。でも「今更生き方を変えられない」と言ったこともあった。「医者なんかにわかるわけねぇ」とキレたこともあった。本人のペースでと気長に構えていた。モラ男は悪化していく。どんどん関係性が難しくなっていく。彼女はモラ男の依存度の高さに辟易していたし、感情をぶつけられていく中で、不安定になっていった。

そのうち、別れと復縁を繰り返すようになった。もう付き合っているのかどうかも不明な最悪の関係になっていった。モラ男は更に悪化していく。これは、時間との戦いなのか。この関係に明るい未来はあるのか。いや、ないだろ。結局彼は彼女にキレることと謝罪することを繰り返すばかり。

病院には一度行ったが、その後行かなくなった。彼女ももうそのこと口にしなくなっていった。だって、結局は本人にその気がないなら、仕方ないじゃん。首輪つけて通院させるわけにいかないじゃん。どうにか説得したところで、本人が不本意なら、治療の意味ないじゃん。結局、本人がどうしたいかなんだよな。自分にできることがないと理解した。自分の限界を受け入れた。彼女の思いとして、治療してほしい、回復してほしい、もっと健全な関係を築いていきたいと思ったところで、本人が変化を望まないなら、合意形成ができない。そこで終わり。それが2人の限界だったということ。

モラハラの背景にあった虐待。モラ男は過剰なほど空気を読む人だった。モラ男は社会的には順調に出世コースを駆け上がっていた人だったけど、自分というものがなかった。過剰適応、完全自動化察知習慣。その反面モラ男はその空気を読む技を、私的な関係では誤用することが多かった。モラ男の彼女に対する認識が、変なフィルターを通して行われた。目の前の人の話を聞いてねぇ。そのせいで2人のやりとりの誤読。誤爆。

なんでそんな風に受け取ったの?ってビックリするような斜め上を行く受け取り方をしてることがあった。その誤解を解くのが本当に毎回大変だった。モラ男は対人不安が強かった。その不安感が高まれば高まるほど、フィルターは歪む。待って待って、そんなふうに思ってないよ!みたいなことが何度もある。

落ち着いて話せばわかるんだけど、何度も何度もそれを繰り返すと、もう自分が消耗してくる。例えば仕事や自分の予定で会えない話題。そんな些細なことも「俺なら他の全ての予定をお前と会う時間を確保するために完全に調整するのに」とかなんとか始まって、「俺と会いたくないんでしょ」からの「俺のこと好きじゃないんでしょ」と。

だんだん誤解を解くまで話すことが面倒になって、彼女は機械的に会う時間だけを確保するようになった。内心、それで気が済むんでしょと思っていたし、モラ男とバイバイしたあとは大きなため息とともにホッとしていた。

ホッとしたのも束の間。離れているときに連絡がきて「死にたい」とか言ってくる。今なら、どうぞ、関係ないんでと思う。でも当時は混乱した。もう…はぁぁああ…すごい疲れた。これだけ疲れても、どこかで、この人悪くないんだよなぁって気持ちがあった。もう少し様子を見ようと。謎の経過観察みたいな感じ。もうとっくに終わってたのに。

経過観察の中で何度も何度も、これは終了です。看取りです。ご臨終ですってとこまできて。それでも生命維持装置つけてもう少しだけ様子見ましょう…みたいなのを繰り返してた。そうゆうのを繰り返すうちに、良くなるどころか悪化した。終了が確信に変わった。

やっぱり無理か、やっぱ厳しいか。自分も病んでいく。もう頑張れないなと。そもそも今まで何を頑張ってきたんだ?相手の気持ちに応えること?もはや、それさえよくわからなくなっていた。

最初は応えなきゃ的な、愛情みたいなものがあったと思う。でもどんどんすり減っていって、応えなきゃ会わなきゃやらなきゃなみたいな3なきゃ運動になった。もう義務感しかなかった。自分がどんどんすり減っていくのを感じてた。

モラ男は彼女に救われたいと言った。彼女はモラ男をかわいそうだと思った。子どものころモラ男が受けたことは明らかに虐待だったから。どうしてもモラ男の過去への同情があったから。

彼女自身の問題もあった。振り返れば自分の課題とモラ男の課題が相乗効果を生んだと思う。あらゆることに、とにかくちゃんとしたいという感覚があった。自分の中に理想があり、その理想は実在のロールモデルによって得られたものではない。実在の反面教師によって得られた理想。あれにはなりたくないという感覚、不安があった。それがちゃんとしなきゃにつながっていた。

反面教師への反骨精神。自分はそうならないという反感。理想が現実的ではなかった。だってモラ男が万能の愛のキスによって野獣から人間に戻るなんてディズニーでしょ。彼女はモラ男に引きずられるところから脱して、自分らしく過ごせる毎日を取り戻した。人間に戻ったのだ。長いトンネルだったと思う。


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