元彼氏はとっても優しい人だったけど、モラがハラってる。そして、彼の生い立ちは、父親から殴られて育ったいわゆる”被虐待”そのものだった。それを知ってるからこそ、治療してもらおうとか、病院行ってもらおうとか、回復することを何度も話した。病院は行ってくれた。でもそれも結局うまくいかなかった。すべて私が悪いという話の流れにする人だった。実際、私自身も孤独感や不安感が強くなると、感情的になるところがあり、お互いが感情的になって化学反応を起こすと、それはもうたいそう感情がぶつかって大変だった。そして元彼氏は最後まで、必ず私のせいにしなくては気が済まない感じだった。
もう難しいよね。とても悲しいことだけど、元彼氏の生い立ちにはとても同情するけど、その怒りは自分の父親に向けてよ。今からでも倍返ししなよ。良好な親子関係を表面上、演じてる。それは一体誰のためなんだろう。その何もなかったかのように、何も問題ないような自分を保つため、そのための帳尻合わせにしないでよ。そんなことをよく考えていた。そんなわけで別れたんだけど、そんなわけで連絡してしまい、病院に付き添いなんてお願いしたんだけど、最後の最後で例によって大きなダメージを受け、今後の不安も高まり帰宅して大泣き。その後、元彼氏からLINEがきた。「ごめんね、いいすぎた。でも乗り越えたい。」そんな内容だった。こういうことは付き合っているときも何度もあった。彼が急にキレて出ていくとか、そのあと気まずそうに謝ったりすることもあって、そんな姿を見て仕方ないよねって理解するよう努めていた。
でも、もうこれは無理めだなと。子宮頸がんになりかけたころ、やっと決心がつきそう…!がんばれ自分!もう後戻りしてはいけない!そう思った。でも、何度も使い古された言葉が出てくる。❝でも、ほんとうはいい人なの。❞
だから、リメンバーモラハラなのだ。付き合っていた2年くらいのあいだ、これを何度繰り返したことか。忘れるわけじゃない。しかし、出現率的には普段の優しい元彼氏のほうが多く、モラハラぽくなることは本人も自覚が多少あり、一応はギリギリ共有できてるし、これはモラハラってゆーか、元彼氏の生い立ちにもとづくトラウマ反応だし、この人はほんとは悪いひとではないし、好きでこうなってるわけじゃないんだしだし…。何度こうゆうことを考えて自分をなだめたのか。でもやっぱダメじゃん、無理じゃん、人としてどうなのあの暴言てなるじゃん。普段はいい人って、それ典型的なやつだし、だいたいの人は普段いい人だし。でもでも…とか色々考えてたらなんかもう自分が消耗して疲れちまった。そんで体は子宮頸がんの疑い。検査に付き合ってくれたけど、俺にできることある?って聞いてくれたけど、あるよ、そのモラハラさっさと治せや。
だから、リメンバーモラハラなのだ。どんなことを言葉にして元彼氏が発言してたか、きちんと記録で残しておく。やっぱり、ほんとはいい人…みたいな波が来そうになったら、リメンバーモラハラ!とこれを読めばよい。これはそんなモラハラ対策的に、昨年の夏に残したメモである。やっぱ本人が治りたいとかどうにかしたいって思わないと、他人がどうこうできるものでもないしね。その後、私は入院手術して無事退院。ピンピン元気にしていて、元彼氏ともダラダラして何度も冷静と情熱とモラハラのあいだを行ったり来たりしたんだけど、最後は冷静が勝利してサヨナラいたしました。おしまい。
コメントを残す